忍者とはその名の通り「忍ぶ者」で、人目に触れないように身を隠す技術に長け現代で言うところのスパイのような役目を担ってきました。忍者は日々の鍛錬によって、現代のトップアスリート以上の身体能力を獲得していたと言われ、一日に百里(一里=約3.937km)の道のりを行き、3mの高さまでジャンプすることが出来るといわれています。忍者最大の特徴と言われるのが「忍術」「忍法」と呼ばれる独自の技で、火や水を操り自在に姿を消すことが出来たといわれています。


忍者の超身体能力
 忍者は日ごろからトレーニングを積み上げ、一対多数の状況でも生還できるだけの力を身に付けています。例えば忍者は麻を植えて毎日飛び越える訓練を行い、ジャンプ力を身につけます。麻は生長の早い植物で、種類によっては4ヶ月程度で3〜4mにまで生長するといわれています。また、麻は服などを作るための繊維を採取できるので一石二鳥の訓練であるといえます。脚力の訓練のために、長い布を垂らして地面につかないようにして走りこむなどナンセンスのように見えて、具体性のある訓練によって忍者の身体能力は鍛え上げられているのです。


忍法の謎に迫る
 忍者が使っていたと言われる忍法は、基本的にフィクションの産物であるといってもいいでしょう。すべての忍者の必修科目である忍術は、現代科学の視点から見ても理に適っているものも数々存在しています。
歴史に名を残す忍法の使い手・果心居士
 歴史上、忍法を使いこなしたとされるのが戦国武将たちに恐れられた「果心居士」という人物です。元々は仏僧だったものの、幻術に手を出したことで寺から破門されたといわれる果心居士は、様々な幻を人に見せる能力を持っていました。その能力は、織田信長・松永久秀・豊臣秀吉と言った戦国武将たちの眼前で披露されたといわれています。その幻術はまさに忍法そのものだったので果心居士は忍者でもあったと考えられています。


忍法の正体とは
 映画などでの忍法は、巻物を咥えて手で印を結べば発現される不思議な術であるとされています。このイメージは、当時の忍者や侍たちが信仰していた「摩利支天」という神様への祈りや陰陽道・修験道などが結びついて生まれたものなのです。摩利支天は戦いの女神であると言われ、その加護を受ければ勇敢に戦うことが出来るといわれています。修験道は仏教や神道や陰陽道から生まれた独自の信仰で、山に篭もることで神に出会うという独特の考え方を持っています。修験道に帰依したものは、修行の果てに神通力を使えるようになるといわれ、天狗となったとも言われています。陰陽道や修験道は、幻を見せたり式神を使役できたりと言った人間離れした力を持っているため、そのイメージが忍者に輸入された結果忍法が生まれたといえます。


忍術の謎に迫る
 忍法に対して、忍術は非常に現実的な技術であるといわれています。忍者が諜報任務の中で必要となる技術を、長い年月を掛けて研究し洗練させたものが忍術になっていたと言われています。その為、忍術は肉体的な技術だけでなく精神的・心理的な技術をも含んでいるのです。
忍術の源とは何か
 忍者が忍術を行使できるのは、忍者として実働できるようになるための厳しい訓練の成果によるものです。幼少のころから積み重ねた厳しい訓練によって、常人よりも高められた身体能力と訓練に耐えてきた精神力、訓練によって培われた洞察力や記憶力こそが忍術の源となっているのです。


忍術の正体
 では、忍術とは一体どのようなものなのでしょうか? それは、「忍者が使う技術を総合的にまとめたもの」です。忍術は、戦術・戦略を組み立てるための兵法、戦うための技術である剣術や柔術などの武術、諜報活動に必要な潜入技術、変装術、心理学に基づく技術などによって構成されています。忍者が超人として扱われることが多いのは、これらの当時としては最先端をいく学問・技術を総合的に学んでいたことが大きいのです。


門外不出とされた忍術
 忍者の活躍した時代というものは、忍術を構成する学問や技術を誰かに師事して学ぶことが簡単には出来ない時代でした。剣術などの武術はともかく兵法ともなれば、名の通った武家でもなければ兵法書にも触れることは出来なかったのです。そんな学びにくい技術を総合的に学んでいる忍者は格好の教師になりうる存在です。しかし、忍者たちは教えを受けたときから「忍術の内容を誰にも教えてはいけない」という命を掛けた誓いを立てているのです。それは忍者の神秘性だけでなく、傭兵としての忍者の価値を高める方法でもあります。この掟に背いた忍者や忍者から教えを受けたものは、その命で償わされたのです。

忍者が活躍した時代
 忍者の元祖とされている人物の一人に「大伴細人(おおとものほそひと)」が居ます。この大伴細人は、聖徳太子の配下として働き聖徳太子の「一度に十人の話を聞き答えられる」伝説の構築に一役買っていたといわれています。しかし、忍者が本格的に歴史の裏舞台に関わるようになったのは戦国時代からだとされています。戦国大名たちは、領土を広げ天下を手中にするため忍者を育成し、各国の情報を集めさせていたのです。


徳川幕府を支えた忍者・服部半蔵
 実在する忍者でも群を抜いて知名度が高いのは、徳川家康に仕えたという服部半蔵ではないでしょうか。現代においても「半蔵門」という地名に名を残す服部半蔵は実は忍者ではなく、伊賀流忍者を統率した武士であったと言われています。当時、伊賀流忍者は織田信長からの弾圧を受けていたのですが、世に名高い「本能寺の変」で信長が討ち取られ本国に逃げ延びようとしていた家康を半蔵のとりなしで助け、徳川家に仕えるようになったといわれています。


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